岡山空襲から63年 平和の日で語り継ぐ―小中高生も追悼式に参列


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教育行政・教育制度 岡山空襲から63年 平和の日で語り継ぐ―小中高生も追悼式に参列

06月30日16時25分

 岡山市街地の6割が焦土と化した岡山空襲から63年の29日、同市民会館で市戦没者追悼式が行われた。日曜日ということもあり、市民、戦死、戦災の遺族会員や2002年から参列している市内の小中高生約180人を含め約1600人が平和の尊さを後世に語り継ぐことを誓った。

 1989年、市が6月29日を「岡山市平和の日」と定めることを宣言。式は90年から毎年行い、岡山空襲のほか、戦地で亡くなった1万1894人を追悼している。今回は、新たに身元が判明した1人を含む空襲の犠牲者1444人の名簿を高谷茂男市長らが奉納。参列者全員で黙とうした。

 市建部遺族連合会の平本史郎会長は「戦争の傷跡が見られない豊かな社会は、戦没者の犠牲の上に成り立っている」と述べた。市戦災遺族会の峰島あさ会長は「空襲後、たくさんの亡骸(なきがら)を前に怒りと悲しみがこみ上げた。悲惨さを語り継ぎ、二度と戦争を起こしてはいけない」と訴えた。

 岡山後楽館中3年、小橋麻奈美さんは昨年、被爆地・広島で平和学習した経験から「現地で資料を読み、胸が張り裂けそうになった。今を精いっぱい生き、思いやりを持たなければならない」と決意を述べた。

 参列者は黄色の菊を献花し、哀悼の意を表し、中学生5人が岡山市の「平和都市宣言」を朗読。平和への誓いを新たにした。参加した同市一宮の女性(72)は「幼い時に出征した父は戦死した。『お父さん』と呼びたかったと今でも思う」と静かに話した。

 また、9歳の時に岡山空襲を体験した同市出身の俳優、八名信夫さんによる平和講演会があった。父が岡山駅に勤務していたという八名さんは、「あの時は怖かった。火の海の中を必死で逃げた。父に起こされて目が覚めた。父はすぐ、岡山駅に行った。空襲の後、石井小学校で食べた握り飯の味が忘れられない」などと当時を振り返った。

<歌声に平和の祈り岡山の喫茶店>

 岡山空襲を記憶に刻み、世界の平和を祈ろうと、「うたごえ喫茶 出石発平和の祈り」が29日、岡山市出石町の喫茶店「ピエニ」で開かれた。

 アコーディオン奏者桧山武雄さん(62)が「夏の思い出」などを伴奏し、集まった25人が合唱。桧山さんが戦後の暮らしぶりなどを話し、来場した人たちも空襲の記憶を語った。

 岡山空襲は1945年6月29日午前2時43分から同4時7分まで、米軍の138機のB―29が約880トンの焼い弾を同市中山下を中心に投弾。約1時間半に及ぶ空襲で、当時の市街地の約63%が焼失し、1700人以上が亡くなったとされる。

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